ある野良魔導士の書斎

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カテゴリ:小説:竜の娘(仮)( 39 )

第三話:海色の聖地(2)


 エルデルグが目覚めると、嫌な予感がした。と同時にドアを乱暴に叩く音。そして風の切れる音がした。
「エルデルグ、起きて頂戴!」
意識は鮮明になると彼は急いでベッドから飛び起き、ドアを開ける。シルクレアがネグリジェにショールを羽織ったまま、息を切らして立っていた。一瞬、屋根の上を何かが跳ねる音。
「ど、どうしたんだ?」
「どうもこうもないわ。イリュアスがいないのよ!ベヒモスが部屋に行ったら蛻(もぬけ)の殻で…」
それを聞いた途端、エルデルグはシルクレアを押しのけて一階へ飛び出し、職員玄関から外へ飛び出した。疲れた彼は着替えず、そのまま眠っていたのだ。今宵は上限の月。まだ南中を過ぎたばかりの月が、町をそっと照らし出す。それに浮かび上がったのは、一人の有翼人…。それをベヒモスらしき男が追いかけ、屋根を飛び移っていた。
「してやられたな」
不意に、声が聞こえた。何時の間にか、彼の傍にパトスがいた。彼は何時もの白衣ではなく、黒いタンクトップとジーンズだけの姿で特大メスを持っていた。
「一応、警戒はしていたんだ。今の時期、海の竜王もイリュアスも不安定な精神状態だから…」
「イリュアスが誘拐されたって…なんの為に?」
エルデルグは怒りと困惑で感情が高ぶっている。パトスは落ち着け、と促した所で一つ、溜息を吐いた。
「竜は世界で神や世界樹に匹敵する程の魔力を持つ。大昔、神々は竜を自分のペットのようにしていてね、その中でも竜王をペットにしていた神は物凄く尊敬されていたらしい。その名残で『竜』狩りを行う神や神信仰者が居るんだ」
「…はぁ?」
エルデルグは思わず声を上げる。つまりは、竜王候補のイリュアスは愛玩用に…!?そう考えると更に怒りが湧き起こる。
「それだけじゃない。竜の魔力を供給源にしたがる輩も大勢居るさ。くそっ、前もって目星をつけられていたのか!?」
エルデルグに説明しつつも、パトスは愚痴り、手元の獲物を握り締める。後から来たシルクレアも悔しそうに夫が走り去った先を見つめていた。
「あの方向は…『竜王の海』だわ」
彼女は何時の間にか蝙蝠のような翼を広げ、星空へ浮かび上がる。パトスとエルデルグも同じ方向を見た。風が吹いた、と思ったら幾人かの人間が、ベヒモスと同じ方向へ向かい、散らばっていく。
「ベヒモスの手下が、動き出したか」
パトスが彼らを見、呟く。エルデルグは僅かに苛々しながら泊まっている部屋へ戻る。と、身支度を整えなおし、再び下へ降りる。今からでも遅くは無い。追いかける心算だ。
「ベヒモスに追いつきたい。どうすればいい?」
エルデルグは地上に降りていたシルクレアに問う。パトスが楽しそうに笑い、シルクレアはやっぱり、というような笑顔で頷いた。
「なら任せてね。見えぬ翼を貴方にあげるから、行ってらっしゃい」
そう言われた途端、体が軽くなる。背中に見えない翼が彼を夜空へと音もなく押し上げて行った。
「行って来い、エルデルグ!好きな相手ぐらい自分の手で取り戻してみろっ!」
そう言われ、彼の頬が真っ赤になった。

 一方、不審者にいち早く気付いたベヒモスは己の不注意に苛立っていた。異常な魔力を覚えたが、それはイリュアス自身が起こしたものだとばかり思っていたのだ。
(俺も、まだまだだな。兎に角今は、イリュアスの救出が先決ッ!)
手にしたピアノ線を軽く握り締め、様子を伺う。音を消す力と重力をコントロールする力を組み合わせている為、四枚翼の存在はベヒモスが追いかけていることに気付いていない。態と音を出させている仲間に少し焦ったのだろう、飛行速度を上げ、引き離そうとした。真後ろのベヒモスはそっと、唇を嘗める。その時、初めて不審者が振り返った。
「…宿屋の料理長…」
確かに、彼の口はそう動いていた。ベヒモスが身構える。青年は空中で止まり、追っ手を睨みつけた。
「オレも迂闊だったな。宿屋の主人が精霊である、と気付けないなんざ。それに…お前も竜の関係者なのだろう?」
そう言われ、ベヒモスはしかたない、という眼を向けた。彼は料理人としてではなく、闇の住人としての姿でそこに居た。口元を覆う布、棚引く深紫のマント、手にされたピアノ線。その姿には、聞き覚えがあった。
「まさか、噂の処刑人『紫影狼』が竜の僕だったとはね」
そう言われた途端、ベヒモスの表情が僅かに険しくなった。同時に彼の周りに風が吹き、僅かに曝された目元に青白く輝く紋様が浮かび上がる。彼は僅かながら苦笑し、屋根の上で身構えた。
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by jin-109-mineyuki | 2006-03-01 07:52 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第三話:海色の聖地(1)


 イリュアスが夢から醒めたとき、既に真夜中だった。薄暗く、月明かりによって見えた時計によると、午前三時になったばかりだった。
(長い間、眠っていたんだな)
よく考えていたら何も食べていない。気を利かせたのか、テーブルの上には食事が置かれていた。
(ベヒモスさん、ありがとう)
イリュアスは内心で礼を述べた。丁度空腹だったが、それよりも倦怠感が凄い。痛みは治まっているし、熱もパトスからの薬で下がっている。僅かにぼーっ、としていると、夢のことを思い出していた。魔力が暴走しているのは彼女自身に原因がある。竜はそう言っていた。心当たりはあるが、イリュアスはそれを原因とは思いたくなかった。もし、そうだとするならば…恥ずかしい。言えるわけの無い事が、自分の心を乱し、魔力を暴走させ…。
(そんな筈、ない!)
そう、思いたかった。そんな事で壊れるなんて、嫌だった。
(そうだ。これは何かの間違いだ!…他に問題があるに違いない!)
イリュアスはゆっくりと毛布に潜り込んだ。あの事は、誰にも言うモノか。再び、固く決めて。
「目覚めたか」
不意に、気配と声がする。瞬時に神経が、脳裏が研ぎ澄まされる。
「誰だ…」
体が思うように動かない。神経と脳裏が鮮明になっても痛みが治まらない上に倦怠感が器にこびり付いている。何時の間にか、ベッドの真横にマントらしき物を纏った男がそこにいた。魔力を感じる。侵入者の物ではなく、布から…。
「悪い、もう一度眠ってもらうよ」
「!」
淡い闇を切り、白い布が彼女の口元へ押し付けられる。イリュアスは抵抗できず、思いっきりその布越しに息を吐いてしまう。背中に、彼のものであろう逞しい腕を感じた。視界の闇が度合いを深める。
(しまったっ!)
そう思ったときには既に遅い。どこか覚えのある薬草独特の匂いが鼻を通り抜け、喉を満たし、食道を通っていく。僅かに重い空気の塊が、まどろみの中へと意識を沈めていく。
「うぅ……」
イリュアスは呻き、瞼を落とす。が、無意識に相手に爪を立てていた。僅かに皮膚が切れ、月光に鮮やかな、小さな紅が浮かび上がる。
「竜の力が、変化を促しているんだろうな」
侵入者はそう呟き、ゆっくりとイリュアスを抱え、窓へ向かっていく。そのまま歩き続ける。このままではぶつかってしまうのに、それでも進んでいく。開けようともしない。僅かに明けられたカーテンにすら。
「主が、君の存在を求めているんだ」
彼はそう呟くと勢い良く窓へ肩をぶつけた。瞬間、彼は水飴の中へ落ちるように窓を抜け、夜風に抱えられる。腕の中には眠るイリュアス。完全に宿から出ると、彼は自慢の翼を広げ、海の方へと飛び立って行った。
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by jin-109-mineyuki | 2006-02-13 14:19 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(9)

 イリュアスの診療後、エルデルグとベヒモスはもう一度彼女の部屋を訪れた。
「イリュアス、大丈夫かなぁ」
エルデルグはベッドの傍らに膝を付き、眠る親友を心配する。その横でベヒモスは用意した夜食をテーブルに置き、辺りを見やった。
「怪しい客は今の所着ていないが、一応結界は張っておく。そう簡単に入れはしない筈だ」
彼はそう言うともう一度年若い友達二人を見た。仲間を心配する気持ちは解かるが、どことなく、エルデルグの仕草を見て違う気がした。
「そうだ、エルデルグ」
「ん?」
呼ばれ、振り返る。と、ベヒモスは彼に一枚の銀貨を投げ渡す。狼のシルエットが刻まれている。それが何を意味するのか、エルデルグにはわかっていた。
「ベヒモス、まさか『バイオレット・ムーン』も動き出すのかよ」
『バイオレット・ムーン』はベヒモスが作り出した『仕事人ギルド』である。暗殺、恨み晴らしの代行や夜逃げの手伝い、盗まれたものの奪還などを主な仕事とする。了解の証が、この銀貨だったのだ。
「紫影狼(しえいろう)として動くのか!?」
「そうなる。第一、イリュアスは俺が責任を持ってあの方の場所へ連れて行かなくてはならない存在だ」
ベヒモスは人間の耳を触りつつ呟いた。普段は人間の姿で、狼の耳と尻尾を出しているのは顔見知りだけや家族団欒のとき、そして『仕事人』の顔の時だけだ。それでも、考え事をするとき、耳をかく癖は変わらないらしい。ベヒモスが何を考えているのか、エルデルグにはわからない。第一、彼の言う「あの方」とは誰なんだろう。竜の事に関係するんだろうか?
「さっき、イリュアスが海竜王の候補にとか言っていただろ。それに係わりあるのか?…心から愛した人のリミッターになれるかって…」
その言葉に、ベヒモスは何も答えない。ただ、真剣そうにエルデルグを見返すだけだった。
「イリュアス…」
エルデルグはなんと言えばいいのかわからず、イリュアスの手を握る。その中に、先ほど店でもらったアイテムを握らせて。握った相手の感情によって、色が変わるものだ。イリュアスの手に触れた途端、それはオリーブ色を示した。説明書によれば、困惑の色らしい。
(イリュアス、どんな夢を見ているんだろ?)
エルデルグは余計に心配になった。イリュアスには、いつでも笑っていて欲しいし、早く元気になって、共に戦いたい。元々傭兵だし、仕事が待っているのだ。
(それに、俺、イリュアスとどうしても行きたい所があるんだよ)
エルデルグは元気が無いイリュアスを見、どうにか元気付けたかった。だから、ちょっとしたデートに誘おうとか企んでいたのだが、叶いそうも無い。今はただ、回復を祈るだけだった。

 そんな姿を見、ベヒモスはふと、考える。
(お前は、イリュアスの事、好きなんだろ?…エル)
それもかなり前から、年若い二人を傭兵一年生の頃から見つめ、彼は薄々と感じていたのだった…。

(第二話:完)…第三話へ続く
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by jin-109-mineyuki | 2006-02-05 22:14 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(8)


 イリュアスの診察をしながら、パトスは1人呟いた。エルデルグはイリュアスの診察が始まる前に部屋へ戻っている。彼は溜息を吐くと聴診器から耳を離す。
「魔力の不可が大きいな。暴走の痕跡が肉体にも出ている。発熱はそれから来ているけれど、お前が打ち勝てば肉体にも馴染む」
ふと零れ出た言葉に、イリュアスは眼を丸くした。が、パトスはそのまま呟く。
「魔力が何らかの形で増えて、肉体の中で暴れていただけだ。外に漏れるのを例のサークレットが押さえていたから、漏れも穏やかなんだ。安心しろ、最低三日で治るだろうよ」
パトスはそう言うと薬草から作った解熱剤をイリュアスに渡した。その間に彼女も衣服を纏うパトスはイリュアスの頭を軽く撫でると
「その薬は一日一錠、夕食後に飲めばいい。診療代は傭兵保健組合手帳の規定により一割のみ徴収。後日払いに来ればいい。…じゃあな」
パトスが聴診器を鞄に仕舞い、席を立つ。イリュアスは僅かに微笑んで
「ありがとう、パトス」
それだけ言うと、ベッドに潜り込んだ。

 パトスが一階に下りると、客の目を盗んで職員用の部屋に入った。丁度ベヒモスがソファに腰掛け、手を組んでいた。何時の間にか、エルデルグの姿もそこにあった。恐らく診察中に来ていたのだろう。
「診察結果を」
「ああ」
パトスはカルテを取り出すと、何か付け加えてテーブルに広げる。エルデルグも覗き見た。そこに書かれていた【竜化レベル1・侵食開始】という文字に、ベヒモスは唸り、彼は目を丸くする。
「説明、させてもらうぜ」
パトスはそういうと別の冊子を取り出し、エルデルグに投げ渡した。
「ベヒモスは、いらねぇよな」
確認をすると、ベヒモスは一つ頷く。
「おおよその事は予想がつくからな」
それだけ言うと話すように手で促した。エルデルグは何がなんだか割らないが、とりあえず冊子を読む事にした。
「ごく普通の『ヒト』と『竜』は魔力の桁が違う。精霊やエルフ、魔族も敵わない。対抗できるって言ったら…神や世界樹ぐらいなもんだと思う。それぐらいなら常識としてお前でも知ってるだろ、エル」
急にふられ、エルデルグはびくっ、と肩を震わし、驚く。が、ベヒモスは少し前に座りなおしつつ、言葉を続けた。
「その冊子は後で読んでおけばいいから。まずは話を聞いていてくれ。お前は既に巻き込まれているんだからな」
「ま、巻き込まれている?」
エルデルグが思わず聞き返す。今何が起こっていて、何に巻き込まれるのか、言葉だけでは把握できない。
「イリュアスの事だよ」
ベヒモスが若干肩を竦め、僅かに目を細めた。どこか意味深な眼差しに、都市若い彼は多少途惑う。
「イリュアスの事、心配なんだろう?彼女の身に起っている事を理解していて欲しいんだ。第一、君はイリュアスの異変に気付いた人間だからな」
ベヒモスに言われ、エルデルグは頷く。が、なんだかすっきりしない。
「何に巻き込まれているのか、という質問の答えにはなっていませんよ」
「ああ、それか。…お前なら、安心できるから言うが」
問われたベヒモスは何処か不敵な笑みを零し、されど僅かに真剣さを溶け込ませた表情で再び口を開いた。
「新たな、竜王候補の試練に…だよ」
一瞬、青年の目が見開かれる。が、パトスは僅かに苦笑した。彼はカルテを手に取ると二人に見やすい位置に置きなおした。
「説明、再開するぜ? イリュアスは生まれながら竜紋を持っていたって言っていた。そこから既に目星はつけられていたって考えられる。そして、交代の時期が迫り、竜王は己の魔力を与え始めたんだろう」
エルデルグはそこまで聞き、はっ、と我に返った。
「ベヒモス、まさか…竜に」
「その話は後だ。さっきの事も頭において、考えとけよ」
彼はそういうとパトスに続きを促す。二度も中断され、パトスはちょっとだけなんだかなぁ、という顔をしていたが…。
「今の時点はレベル1から2への進行過程かな。精神面で何かあったらしくて暴走しちまってるから、少し心配だ。最悪の場合は衰弱死、死ななくても精神崩壊…。ある意味危険な状態だ」
パトスがそういいつつ、鞄から一つのサークレットを取り出した。普段イリュアスが身に着けているものである。それをカルテの上に置いた。
「そのサークレットも、ガタが来ていた。今はもう制御能力を壊されている。…まともに作用しねぇ。前からある頭痛は初期症状さ」
そこまで言い、パトスは言葉を止める。そして、脳裏に刻み込まれたイリュアスの紋様をカルテの空きスペースに書き込む。鍵束から伸ばされた、黒い網目。それはまるで、なにかの鱗のようにも思えた。
「竜の魔力が、確実に体に馴染んでいる。暴走さえ治まれば人から竜になり、彼女は長い時間を生き続ける。世界を守る為に…」
「だから、心の支えになる相棒が必要になるのさ」
パトスの言葉をつなぐように、ベヒモスが口を開き、ぽん、と肩を叩いた。えっ、と素で驚くエルデルグに彼はどこか意地悪な笑みの目で年若い友を見つめていた。

 イリュアスが我に帰ると、そこは闇の中だった。眠っていた筈だ。それなのに、自分は闇の中に立っている。
『イリュアス、気付いたか』
そう言われ、イリュアス頷いて紋を見た。見慣れた姿から成長し続ける紋様。魔力が少しずつ伸ばしていく、竜の証。それに、彼女は若干困惑していた。
「私は何故、生まれながらこの紋を刻まれたのです?」
『それを語るまで、待って欲しい』
姿を現さない竜は済まなそうにそう言った。何処か悲しいような声色。この存在に、一体何が起っているのだろう。ふと、疑問に思った。それでも、別の気になる事を問う。
「もう一つ。何故、私は魔力の制御が出来ないのです?」
『それについては、君自身が一番よく知っていると思う。少しは素直になってはどうかね?』
竜はそういい、気配を消した。イリュアスは急に心細くなる。
「それは…どういう…」
その時だった。彼女の意識が真っ白になったのは…。
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by jin-109-mineyuki | 2006-01-28 10:28 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(7)


 町中。一人の男が不敵に微笑みながら頷いた。背は高く、肢体はしなやかで鍛え上げられた物だ。彼は人ごみの中をすたすたと歩きながら耳に水晶を当てていた。会話水晶というマジックアイテムの一つで、この世界では携帯電話の代わりになっていた。
「確かに、喜ばしい事だ。魔力の暴走が収まれば体もヒトから竜へ変わる。認められれば、見事な竜になるだろう」
彼は口元が緩むのを感じつつ、何度も頷く。
『観察を続けますか?』
水晶の中から青年の声が聞こえる。自分に仕えてくれる彼にイリュアスの様子を探ってもらっている。
「そう…だな。もし、よかったらそろそろ私の元に連れてきてもらえないか。誘い出すなり、連れ去るなりして」
『そうですね。イリュアスは動けないようですから、様子を伺って掻っ攫おうと思います』
青年はさらり、と言う。どうやら自分の行動に自信があるようだ。その頼もしい声に、彼はもう一度頷いた。
「楽しみにしているよ。私は一足先に、海へ向かう」

 イリュアスは寝台の上で一人眠っていた。魔力が体内から漏れ出る音が、僅かながら聞こえてきた。体が順応し切れなかったら、自分は死ぬだけだ。
(竜なんて…)
それでも、体の上を少しずつ紋様が這って行くのが解かった。思わず右腕を押さえ、呼吸を整える。何故だろう、無性に怖かった。暴走する魔力。軋み続ける体。思わず、僅かながらうめき声を上げる。また全身が火照ってきた。体を丸め、唇を噛む。全身が痛い。動きたくない。けれど、なんだかムズムズするのだ。
「ああっ…」
どこと無く、吐いた吐息。瞬間、僅かだが全身を快楽が広がった。俗に言う甘い吐息を漏らし、彼女自身が困惑する。目を見開き、もう一度閉ざす。胸の奥が、どことなく苦しかった。
(魔力が、制御できない所為なのか)
意識が遠くなっていく。心を無数の触手が絡め取り、闇へ引きずっていく。普段ならば抵抗できるはずなのに、いう事を聞かない。
(やめてくれ!)
イリュアスは痛みを堪えて全身を伸ばし、心に忍び寄ったモノを追い払おうとした。けれど肉体に更なる痛みが迸り、同時にまた快楽に似た感覚が伴走する。
「………っ!?」
反射的に身を丸め、走り出した呼吸を整える。
(一体、体はどうなってるんだ!)
イリュアスの困惑が酷くなる。怖い。自分がどんどん脆くなっていく。そんな姿、彼らには見せたくない。特に…彼には…。
「スオウ…」
彼女は…何時の間にか、想い人の名を呟いていた。

 その声を、偶然にもエルデルグは聞いた。イリュアスが苦しんでいるのは辛いが、何故だろう。その名を聞いた途端、息苦しくなった。思わず、戸を開けるのを躊躇する。
「エルデルグ、お前どーしたんだよ」
ベヒモスに会う、と言って離れた筈のパトスがやってきた。あとから店主と料理長もやって来る。
「いや、何でも」
平静を装うエルデルグ。それにベヒモスは若干苦笑した。が、シルクレアはパトスに向き直る。
「パトス、イリュアスの診察を」
「わーかった。んじゃ、ベヒモス…バンの面倒を頼んだぜ。エルデルグは一度イリュアスに顔を見せてやれ」
パトスに言われ、ベヒモスたちは頷く。二人が幼児を連れて行くのを確認するとパトスはドアをノックした。
「…はい」
「ベヒモスに頼まれてきた医者だ。入るぞ」
そういい、パトスが戸を開ける。エルデルグはまた顔がほんの少し、赤かった。

 1人カウンターで紅茶を飲んでいたユエフィは経営者夫妻が小さな子どもを連れて降りていくのを見、僅かに微笑む。水晶は懐に隠し、紅茶を飲む干すとカウンターの内側へ渡すと部屋へ向かう。あの二人は自分が様子を伺っていることに気付いていない。時間は夕暮れで、そろそろ客人が多くなってきている。余計に紛れやすかった。心地よい喧騒が、ふんわりと広がり、料理の匂いも心をくすぐる。
(攫うなら、夜か)
止まる客はどれだけかわからない。しかし、彼には心強いアイテムがあった。階段を登りつつも考える。その前に、獲物が居る部屋を確認しなくては。彼は懐から一つの片眼鏡を取り出した。それを一つの扉に翳すと、戸の向こうが透ける。丁度、イリュアスが医者の診察を受けている所だった。上半身を曝し、聴診器を当てられている彼女を見た途端、ユエフィの口元が緩んだ。
(綺麗な肌をしている…。胸は小振りだが、形がいい。しなやかな肢体だな。妹と同じぐらいの上玉だ!)
小さく口笛を吹く。雇い主は彼女を竜として手懐けたいらしいが、それより自分への報酬にしてほしい。ふと、そう考えてしまう。
(まぁ、それはいいとして。いかにして忍び込むか、だな)
唇をなぞり、彼は目を細めた時、イリュアスが左腕を医者に見せた。そこに踊る鉤束のような紋様。竜の羽にも見える線や、絡み合う蔦のような線が組み合わさった、何処か躍動感のあるものだった。左手の甲から肩を覆うそれに、思わず見入った。
(これが、成長途上の竜紋か…)
小さく感嘆の溜息を吐いていると、人の気配がした。怪しまれるといけないから、直ぐに部屋へ入る。そこでマントを脱ぎ捨て、片眼鏡をテーブルへ置くとごろり、とベッドに転がった。1人で行動する最、作戦は紙とペンを使わない。脳裏で組み立てる。瞼がゆっくり落ちる。
(宿の人間が油断しきっている時間が、いいな。丁度いいモノもここにある)
彼の鞄には魔術で小石ほどに圧縮されたアイテムや衣服が沢山詰め込まれていた。その中の幾つかが、彼の意識を読み取ったように転がり落ち、元の大きさに戻っていく。そして、何処かで扉が閉まる音がした。彼は僅かに笑い、唇を嘗めた。
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by jin-109-mineyuki | 2006-01-24 10:32 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(6)


 イリュアスは布団の中で溜息をついた。魔力が暴走している。確かにシルクレアはそう言っていた。僅かに痛み出した額を押さえ、サークレットが無い事を思い出す。
(私の体は、どうなってるんだ…)
内心愚痴りながら、彼女は左腕に手を置く。僅かに脈打っているような感触がある。奇妙だ。胸にゆっくりと不安の霧が漂い始める。
「…あれは夢なんだ。気にしなくていい筈さ」
自分にそう言って聞かせ、左の袖を捲くる。と…紋様は淡く輝きながら線を伸ばしていた。一瞬、金色の眼が丸くなる。
「えっ!?」
思わず声を上げる。ヂリヂリと焼けるような痛みが、腕をゆっくりと這っていく。それを眼に捉えた途端、彼女は僅かに震えた。
「あの夢は、本当だったのか…。私は、本当に…竜の力を…」
激しく痛む腕の紋様。少しでも押さえようと、その紋に触れるがとても熱い。眼には薄っすらと涙が浮かんでいた。呼吸がおぼつかない。僅かに頭痛が戻ってくる。
「体が、竜の力に拒絶反応を見せているのか…?」
何故、自分に竜の力が宿ったのだろう?不思議に思った。今まで彼女は一度も竜に会った事が無い。竜は普通、滅多に人の前へ姿を現さない。そんな事を思い出していると額に汗が浮かんできた。
(そういえば御伽噺で聞いた事がある。この世界には四人の竜の王がいて、世界を守っている。王たちが竜を従え、密かに守っている…と)
竜王の話は御伽噺だと思っていたが、それは本当なのかもしれない。事実、雪の竜王(空竜王の別称)を讃える祭が行われている。そんな事を考えつつイリュアスは寝台の上で蹲った。ビキビキと全身に痛みが走り続ける。熱が引かない。思うように体が動かない。
(ちっ…)
内心で舌打ちをし、大きなため息を吐く。今、自分の中で何が起こっているのか全く解からない。とりあえず、イリュアスは寝台に身を沈めた。
(竜の力に体が耐えられなかったら死ぬだけ、と聞く。私は試練を与えられているのか?)
くらくらする。膨大な魔力が自分を変えている様だ。

―ヒトから竜へ―

それがどういう事なのか、彼女はうすうすと感じていた。竜は長寿で有名なエルフの何倍も生き続ける。それも成人以後殆んど変わらない姿で。短命な者でも五百年はざらに生きるらしい。そして、今は竜特有の魔力に肉体が耐えられるか否か、試されていると言っても過言ではない。
(シルクレアは何か知っているのか?)
その疑問を、彼女はとりあえず保留にしておいた。彼女は医者か医療系魔導士に診て貰え、と言っていたからだ。竜について詳しく知っているなら、何か言うだろうし…。
「私は…竜の何なのだ…」
『近衛騎士』か『婚約者』か『後継者』のどれかに、自分は選ばれた。そして、その相手は…誰なのだろうか?そうこう考えているうちに、彼女は再び眠りに付いた。

 スタッフルーム。夕方分の仕込みを終えたベヒモスは、妻が戻ってきたのを確認すると素早く歩み寄った。
「イリュアスの様子はどうだった?」
「予想以上に体が反応しているわ。魔力の暴走が激しいの」
シルクレアの答えに、ベヒモスが表情を曇らせる。眉間に深い皺が出来、深刻そうな表情だった。
「制御しきれないか。やはりな…」
「やはりって、どういうことなのよ」
シルクレアもまた心配そうに夫を見やる。彼は一つ小さく溜息を吐くと言葉を続けた。
「いや、あのサークレットを持った時に感じたことなんだが。元々彼女自身に人並み以上の魔力があった。だから制御の為にあれをつけていたようなんだが…」
一拍の間。イリュアスに触れたときの感覚が一瞬だけ、全身に蘇る。長時間触れていたら幾ら千年以上生きる精霊の彼や魔族のシルクレア雖も、命の危機に瀕する。それだけの魔力を維持できるのは竜と神族のみ。
「イリュアスは生まれながらに紋を持つ、と言っていた。おそらく、早くから見定めていたんだろう…。心身ともに強くなり、魔力も比例して強くなった。それにサークレットが耐え切れなくなった」
ベヒモスは自分の推理をしていく中で、紋様の事を思い出していた。あの紋様を、彼は何度も見た事がある。しかし、その誰もが男だった。みんなサークレットを付けてはいたが、イリュアスのような反応を見せる人間は居なかった。
(あの方も、試していた…というのか?)
彼は考察を止め、再び口を開いた。
「魔力の暴走は、彼女が竜になる過程で起こる事。だけれども、アレは酷い…。予想以上に反応が進みすぎている。あの方も焦っているのかもしれない」
その言葉に、シルクレアは不安を隠しきれなかった。僅かに震える体を夫が背後から抱きしめる。
「大丈夫だ。イリュアスなら、きっと…大丈夫だよ」

 その会話を、盗み聞きしていた者がいる。先ほどの客人、ユエフィである。彼は夫婦の会話を聞き、内心で舌なめずりをした。
(…吉報だな。あの方もきっと喜ぶだろう!)
彼は懐に隠し持っていた水晶を、ぎゅっ、と握り締めた。
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by jin-109-mineyuki | 2006-01-05 19:16 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(5)


 その頃エルデルグは傭兵仲間の家にいた。傭兵といっても魔導士の一人で、最近はもっぱら戦場よりもアカデミーで教鞭をとっている事が多い。エルデルグが身を寄せているのは彼の家だった。
「エルデルグ、次はどこの戦場に向かう気かい?」
友人に問われ、エルデルグはすこし考える。この街に来て早二日。斡旋所に行っていない。
「まだ考えている所なんだ。もしかしたら冒険者に暫くの間転向する可能性もある」
「ふーん、君が冒険者ねぇ。それよか本格的にルポライターとして活動したらどうだい?この前のルポタージュ、色んな人に評判だぞ?」
友人は青い目をキラキラさせ、にやり。ついでにアカデミーで気巧術の教鞭でもとったら、と言われたので笑顔で断っておいた。十九になったばかりの自分に、教師など務まるはずが無い。そう考えていたからだ。落ち着いた雰囲気で、厭味にならない程度の豪華さを誇る書斎が僅かに金色の光で満たされだすと、エルデルグは椅子から立ち上がった。
「もう行くのかい?しかも鞄をもって」
エルデルグは身支度を整えていた。鞄も武器もその場にある。
「ああ。お前新婚だろ?邪魔するわけにはいかないぜ」
彼はそういうと荷物を持ち、にっこりと笑う。またな、と握手をすると速やかに部屋を後にした。
「また来いよ。今度はゆっくり酒を飲もう!」
彼はそう言うと、微笑んで扉を閉めた。そして、残念そうに本棚を見やる。隠していたとっておきのウィスキーを、彼に飲ませたかった。

 エルデルグが街を歩いていくと、一人の男とぶつかりそうになった。彼は失礼、と言って会釈し立ち去ろうとしたが…その場に止まる。
「どうしたんですか?」
明らかに年上であろうエルフの男。長身痩躯で夕暮れの光に黒い髪が豪奢に輝く。前髪に走る銀のメッシュが、刃物のように煌いた。
「…いや、なんでもない。すまなかった」
彼はそう言うとあっ、と言う間に喧騒へと溶け込んで言った。
「何だったんだ」
エルデルグは訝しげに首をひねったが、すぐに歩き出した。イリュアスの事が心配だ。気を取り直して歩き出す。夕暮れ時の街は心地よい喧騒に包まれていて、平和だな、と実感できる。おいしそうな料理の匂いもしてくるし、なにより、夕焼けの色が安心感を与えてくれる。なんて素敵な時間なんだろう!エルデルグはこの時間帯が大好きだった。一番上の姉に手を引かれて歩いた商店街、おいしそうな肉屋のコロッケ、総菜屋で一番人気があった肉じゃが、何処か安らぐ琥珀色の空気…。思い出を懐かしんでいると、彼は足を止めた。不意に、肩を叩かれる。
「エルデルグ、久しぶり」
声をかけてきたのは、幼児連れのエルフだった。白銀の髪に黒いメッシュが三本。さっきの男とは逆のカラーパターンだ。紅と黄色の眼が楽しげに微笑みを浮かべている。丸い、シンプルな眼鏡が似合っていた。
「パトスか」
顔見知りの医者、パトス・ピースリング・ソフィはハーフエルフではあるが魔族の血を引く。母方の祖先は魔族であるらしく、彼はその力を受け継いでいる。彼が抱えている幼児は息子のバン。
「バンも一緒に買い物ですか?」
それとも食事ですか、と問いかけるエルデルグにパトスはいや、と首を横に振る。よく見ると診療道具が入った鞄を片手に持っていて、エルデルグは納得した。今から往診にでも行くのだろう。
「別に急いではいないし、そこまで一緒に歩こう。シルクレアからイリュアスを診て貰いたいと連絡があったんだ」
それにエルデルグが表情を若干険しくし、ちょっとパトスに詰め寄る。イリュの体調が悪化したのだろうか?
「イリュになにかあったのか?」
「ん…まぁ、な」
何か言葉を濁すような彼の態度。それが釈然としない青年は更に表情を曇らせた。医者はそんな友人に悪いと思いつつ苦笑い。
「そんな顔をするな、エルデルグ。お前がイリュを心配する気持ちはわかるけれど…。まずは、『おぼろ月』へ向かおう」
エルデルグはそうだな、としかたなく頷いた。
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by jin-109-mineyuki | 2005-12-25 22:23 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(4)


 ベヒモスが店に戻ると、シルクレアが心配そうな顔で夫を出迎えた。何時になく表情が曇っている。
「ただいま、シルク。どうしたんだ?」
「ああ、いい所に…。実はちょっと話があるのよ」
彼女は小さく安堵の息を吐き、彼をスタッフルームに連れて行く。この話はあまり他人には聞かせたくは無い。手を引かれ、ちょっとドギマギしつつもベヒモスは彼女に従った。入ったのを確認すると鍵を閉め、シルクレアは辺りを見渡した。裏口と厨房への出入り口も閉ざし、防音結界を張る。漸く安心したのか、彼女は近くのソファに夫を誘った。
「話とは?」
ベヒモスは妻の傍に座りつつ問う。シルクレアは夫と眼を重ね、真面目な顔でこう言った。
「そろそろ、海を統べる竜王が動き出すわ」
「…レヴィアータン様が、動かれるのか…」
瞬間、ベヒモスの表情が強張った。この世界では。数多の竜が存在し、『強き心・信念を持った人間』との契約を深く望んでいる。その竜と契約者を統べ、人々を守護するのが竜王で、空竜王、地竜王、冥竜王、海竜王の四頭が存在する。その一頭が動き出した理由を、二人は知っていた。
「そんな、時期になったか」
ベヒモスはそういい、深くソファに座り込む。その表情はどこかしみじみとした表情だ。そんな夫に、シルクレアは頷いた。両肩に手を置き、抱きしめて眼を閉ざす。
「それがどういう事なのか、お前は解かっているのか…」
「ええ。儀式が終わるまで竜王は無防備になる。だから、そろそろ私達も動き出さなきゃいけない」
シルクレアの言葉に、ベヒモスは深く頷いた。確かに感じている柔らかな体温と感触を刻み込むように一度眼をぎゅっ、と閉ざして
「もしかしたら、イリュアスかもしれないな」
と、溜息混じりに呟いた。
「そうでしょうね。それなら探す手間も省けるし、ケアも直ぐに始められる」
シルクレアが夫の肩に顔を埋め、安心したように言った。が、ベヒモスは妻の滑らかな髪を撫でつつ不安げな顔になった。
「しかし、まだ決まったわけじゃない。イリュアスには悪いが、試す必要がある…」

 一人部屋で眠っていたイリュアスだったが、急に空腹になった。火照りから来る倦怠感が鎖となっていて動けないが、無性に甘いものが欲しくなった。それに、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえて眠れない。しかたなく、彼女は眼を覚ました。
(こまったな)
少し考えて、彼女はゆっくりとベッドから起き上がった。確か携帯用のお菓子がまだあった筈だ。記憶が確かならば干したクコの実があった筈。傭兵達は戦場に必ず少量の嗜好品を持っていく。神経の高ぶりが命取りになるから…と、幼い頃両親に教わった。イリュアスの両親もまた有名な傭兵で、自分が生まれるまでは彼方此方の戦場で華麗に戦っていたらしい。
(戦に行くとき、必ずお母さんが持たせてくれるんだよね)
イリュアスの表情が、ふわり、緩んだ。子を授かった夫婦は傭兵を止め、故郷で里の仲間とクコを育て始めた。できた実を干し、傭兵たちに格安で売っている。質のよいクコの実は傭兵たちに大人気で、中には遠くからわざわざ買いに来る者もいた。幼い頃は友人たちと共にクコの実を摘み、干して手伝った。つまみ食いをして怒られた事もある。イリュアスはクコの実が大好物だった。
…そんな事を考えつつ鞄を探ると程なくしてクコの実を見つけた。しかし残り少なく、買い足さねばならなかった。
(体調が元に戻ったら、市場へ出掛けよう)
一人決めるとイリュアスは細い指でクコの実を摘んだ。紅い実。おいしそうだ。一粒口に含むとクコ特有の、ちょっと癖のある甘みが広がった。
(美味しい…)
懐かしい味に目を細め、胸に優しい感触が満ちていくのを味わうその時。コンコン、とかるいノック音がした。
「…はい」
「イリュアス、いいかしら?」
シルクレアだ。イリュアスは慌ててクコの入った袋を鞄に押し込み、ベッドに潜り込んだ。
「鍵はかかっていません。どうぞ」
イリュアスが僅かに焦って言う。倦怠感があった筈なのに、自分でも驚くほど素早く動けてしまった。直ぐにシルクレアが入ってくる。と、彼女は乱暴に閉められた鞄と少し乱れた毛布を見、くすくす笑う。不思議そうな顔になる友人に、店主は優しい笑顔を見せた。テーブルにクコの実が一粒落ちており、それを見た途端イリュアスの頬がそれと同じように赤くなった。シルクレアがまた、ふふふと笑う。丁寧で、優しい笑い声。誰もが魅了される、綺麗な微笑。
「寝てなきゃだめじゃない、イリュ。クコの実なら鞄からとってあげるわよ?厨房からベヒモスの眼を盗んで失敬する事もね」
そう言われ、イリュアスは苦笑した。が、シルクレアには悪戯が見つかった子供のそれにしか見えない。彼女は年若い傭兵が恥ずかしがるのも無視して髪を撫で、その眼をみた。金色の、澄んだ瞳だ。
「イリュ、体のほうはどうなの?」
「…まだ火照りと倦怠感があります。それに…幻聴でしょう。誰かが私の名を呼んでいるんですよ」
イリュアスは少し困ったように言った。気付いたら声は聞こえなくなっていたが。シルクレアはまぁ、と言ってイリュアスと己の額を重ねた。熱がある。それは多分副作用だろう。彼女は眼を閉ざす。と、魔力の制御が全く出来ていない事に気付く。
「…シルクレアさん?」
戸惑っているイリュアスをよそにシルクレアは呼吸を整えて自分の魔力を重ねてみる。と、同時に自分の鼓動が徐々に早くなっていくのを覚える。背中に冷たい汗が走り、背骨にピピッ、と痛みが走った。
「魔力の暴走が激しいわ…」
シルクレアが誰とも無く呟く。彼女は額を離すとキョトン、としたイリュアスの眼を見、しっかりと両肩に手を置く。
「な、何だ?!」
「イリュアス、いい?貴方は部屋から出てはいけないわ。…医者に診てもらいなさい。それか医療系の魔導士に」
シルクレアはそういうと、彼女に部屋から一歩も出ないよう釘を刺し、素早く部屋を出て行った。
(悪く思わないで、イリュアス。これも、貴方の為なのよ)
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by jin-109-mineyuki | 2005-12-20 21:25 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(3)


エルデルグが店を出て数分後。店に1人の若者が姿を現した。
「いらっしゃいませ」
シルクレアがにっこりと出迎える。入ってきたのは四枚の翼を持った若者だ。彼が先ほどまでイリュアスを監視していたなど、店主には知るよしも無かった。
「宿を頼む。一週間ほど個室に泊まりたいのだが」
「宿泊ね。それじゃあ、これに名前とかを記入して頂戴」
シルクレアが手渡した手帳を受け取り、青年は用意されたペンですらすらと書き込んでいった。ユエフィ・ル・シャンティと書いてあり、年齢は二十五歳。背が高く、細いがしっかりとした体の糸目美青年だった。
「遠くから来た見たいね。服装からして北部のアビニヨン山脈あたりじゃない?」
ユエフィと名乗った青年は、自分の服装を見、頷く。質素なマントと綺麗な組紐が編みこまれた手甲。そして北部生まれの特徴である色素の薄い肌。そこから、彼女は推測した。
「今の季節ならば、雪の竜王を讃える祭があっている頃よ。そんな時期に故郷に戻れないなんて、残念ね」
そう言った途端、僅かに青年の顔が曇る。ユエフィは軽く頭を振った。
「私の故郷は、もう無い」
彼の言葉に、シルクレアは申し訳ない気持ちになった。そして数年前の事件を思い出す。アビニヨン山脈の中腹にある小さな村が何者かに襲われ、長を初めとする住人の殆んどが殺された、という残忍な事件だ。これを巷では『カルナティーノの惨劇』と呼ばれている。その生き残りなのだろう。
「…気にすることは無い、店主殿。慣れている」
ユエフィはそういうものの、シルクレアはどんな顔をすればいいのか複雑な心境だった。それが拙い、と思ったのだろう。彼はやんわりとした笑顔を見せた。
「そういえば店主殿。この季節ならばさぞ美味しいラシュの実が食べられるでしょうね。今年はどうですか?」
「春先の天候が悪かったからまだ出回ってないわ。そうね、あと二週間ぐらい待ったほうが良かったかしら」
漸く、さっきの笑顔を向けてくれた。美しい店主に青年は少し頬を紅くするも、元に戻して呟く。
「ご主人様はがっかりするだろうな」
小さな声だったのでシルクレアには聞こえなかった。ユエフィは後で酒場に行く、というと部屋への案内を頼んだ。シルクレアは頷くと彼を個室のある二階へと案内していく。が、イリュアスの部屋からは遠ざける事にした。彼女は女性だし、第一に体調が悪いからだ。その様子にユエフィは怪訝に思った。

 一方、ベヒモスは友人であるエルフのもとを訪れていた。マッドサイエンティストとかも囁かれているが、彼にとっては自分の娘が世話になっている親友である。
「ふーん、魔力制御のサークレットね」
彼は赤と黄色の目で、手の中のサークレットを見つめた。十字架を除けば飾り気のないモノだ。しかし魔力制御に適したミスリルに金メッキが施されている事は彼にもわかる。
「と、その前に。俺の本職は医者だぞ、ベヒモスさん」
「しかし、俺の周りではお前が適すると思ったんだよ、ドクター」
ドクターと呼ばれた男はベヒモスとさほど変わらない長身だ。細いが筋肉質そうで、しなやかな体を白衣に包んでいる。医者の体ではなく、戦士の体といって過言ではない。また質素な病院独特の部屋にちょっと似合わないような目映い白銀の髪。前髪には黒いメッシュが三本入っている。
「まぁ、錬金術などの類も齧ってはいるが…」
彼はエルフの耳をぴくっ、とさせて溜息をつく。
「それじゃあ、パトス。俺の娘だけでなくそいつも任せるぞ」
そう言って、ベヒモスは病院を後にする。残されたエルフは溜息混じりにサークレットを頭上の天窓に翳した。
「俺はただの医者だってーのに。魔族の血を引くハーフエルフだからって…」
彼の名はパトス・ピースリング・ソフィ。ここいらでは名の通った良医であり、研修者。そして、腕の立つ戦士でもある。そんな彼はマジックアイテムの製作・修理も手がけていた。
「それにしても、厄介なことになりそうだぜ」
パトスは一人呟く。掃除されたばかりの床に眼をやると何時の間にか幼い息子がジーンズを引っ張っている。
「ああ…バンか。悪りぃ、ちょっと待ってろよ」
彼はそう言うと息子をソファに座らせ、預かったサークレットを手に地下の研究室兼工房に入っていった。
(嫌な、予感がするな)
彼は水晶ランプに魔力を注ぎ、溜息混じりにそう思った。なんとなく。
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by jin-109-mineyuki | 2005-12-09 12:34 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)

第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(2)

 エルデルグが食堂に下りると、宿の女将であるシルクレアが戻って来た所だった。彼女は友人に気付き、何時ものように優しくも深みのある笑みを零した。
「シルク姐さん、おかえりなさい」
エルデルグは見習い傭兵の頃から彼女を慕っており、姐さんと呼んでいる。シルクレアはただいま、というと辺りを見渡した。
「ベヒモスはいる?」
「実はオレもおっさんに話があって…」
夫である料理人を探すが、厨房にも居ない。まだ戻っていないのだろうか?シルクレアの表情が若干曇るが、エルデルグはその瞬間をちゃんと見ていた。
「姐さん、何かあったんですか?」
「えっ?」
女将が眼を丸くする。気付いていなかったらしい。しかし、何時もの笑みへとすぐに変わる。
「ちょっと、ね。出来るだけ早くあの人に伝えたくて…。困ったわ…」
シルクレアはふう、と溜息をつき、手を頬に添えた。ちょっとした仕草に彼女が元々内包する妖艶さが滲み、ほんの少しエルデルグはドギマギ。気付きつつも彼女はもう一度辺りを見渡した。
「仕方ないわね。戻るまで待ちましょう」
そういって、カウンターの席へ行く。厨房に居た料理人の一人に水を頼むとシルクレアは頬杖をついてその中を覗いた。待ってても仕方ない、とエルデルグは出入り口へ歩いていく。
「姐さん、少し出かけてきますね」
エルデルグはそう言うと、樫で出来た大きな扉を開けた。

 日が傾き出した町は人で賑わっていた。市場には新鮮な食材や遠くの町から運ばれた洋服や靴、アクセサリーなどの装飾品だけでなく、楽器や薬、武器も揃っている。大抵の物は市場で手に入ったりする。時には怪しいマジックアイテムの店があったりした。
(見舞いに何か買っていくかな…)
知り合いの所へ行こうと思っていたエルデルグだが、イリュアスの見舞いに何か買う事にする。賑やかな場所が好きな彼は時折、一人で市場を彷徨う事がある。その結果得体の知れない店で奇妙な物を買うことも少なくは無い。過去に変なカードを買ったらそれが隠された娼館へのパスポートだった事がある(何かの縁だと思って何度か行った)。そんなある意味お宝だったこともあれば役に立たないガラクタを高値で売りつけられたこともある。今では多少鑑定眼も見につき、簡単には引っかからなくなったが。
「兄さん、何か買っていくかい?」
ふと、声がした。青い布を屋根にした、若干古いテントだ。ミントの清々しい匂いがする。その正体は水香(すいこう。マジックポーションの一つで消臭効果と冷房効果を持つ)で、声を発した男が持っている玻璃の器に入っていた。透き通ったエメラルドグリーンが美しい。男の目と同じ色だ。僅かだが店全体から質の良い魔力を感じ取る。
「…珍しいな。質がいい」
「なんのことで?」
「とぼけても無駄だよ。普通、こういった市のマジックアイテムは魔力の質が粗く、悪いんだ。けれどここのは質がいい」
そこまでいうと、男は参った…というような顔になった。肌はこんがりやけた小麦色。髪は淡い栗色。顔立ちは若者とも壮年にも見える。しかし、一ついえることは美しさを隠そうとしている…?
「あんたで三人目だよ、解かってくれたのは」
「三人目?」
エルデルグは思わずそう言ったが…あえて気にしないことにした。男はにっこり笑うと玻璃の容器を置き、僅かにだが目を細めた。
「今日は珍しい。オレが揃えた商品の価値を見抜いてくれる人が三人もいるなんてね。一人目は背が高いエルフの兄さん。二人目は狼のような雰囲気纏ったおっさん…多分精霊だな。兎に角、嬉しいからサービスするよ」
彼はそういい、懐から一つのガラス球を取り出した。一見無色透明に見えたが、僅かな光を浴びると様々な色に変化した。暫くして、黄色になる。
「言霊写し。握らせた相手が発する言葉…その感情に反応して色を変える」
今は嬉しいから黄色になっている、と付け加え…それをエルデルグの手に握らせる。一瞬にして黄色からハチミツ色へ変色。
「!?」
「驚いただろ?…まぁ、気まぐれな贈り物さ。何かに使ってくれ」
男はそういうと序に、と言ってそれの説明書を渡した。
「…有能なアイテム商人が何故ここに?」
不思議に思いつつも、エルデルグはその店で何か買っていくことにした。これから合う友人と、イリュアスへの土産にするつもりで。
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by jin-109-mineyuki | 2005-08-22 17:45 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)