ある野良魔導士の書斎

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第三話:海色の聖地(7)


 「ふぅ…」
イリュアスは湯船に浸かり、小さく溜息をついた。薬のお陰で熱が引いているのだろうが、温泉に入れてよかった。汗と淡い塩水でべとついた体を綺麗に出来て、疲れも取れて心も休まる。水晶の嵌められた天窓は相変わらず優しく月光を零していた。
「湯加減、いいわねぇ」
リナスも入りながら呟いた。長い白銀の髪をアップにしたから、細い首筋が仄暗い闇に美しく浮かぶ。恐らくどんな堅物でも思わず生唾を飲み込んでしまうだろう。それほどに、彼女は美しかった。
「イリュアス?」
そう呼ばれ、彼女は我に帰る。そして、流れてくる温泉に目をやった。
「なんでも、ない。考え事をしていただけだ」
それだけ言うと、膝を抱える。脂肪分の少ない太腿が、小さい胸に当たっていた。ちょっとだけ、もう一度溜息をつく。その疲れた顔にリナスが表情を曇らせた。
「疲れているのね。だったらこの宮で好きなだけ休んでいくといいわ。心の休養にもなるから」
「ありがたい。そうさせていただけるなら…」
彼女の言葉は柔らかく、心から自分を心配してくれている。それが嬉しくて、思わず顔が綻んでいた。
「試練の合間に、心の整理もつけられる」
彼女は小さな声で呟いたつもりだった。しかし、リナスの耳にはちゃんと届いている。が、口を閉ざした。それを問うことで、イリュアスを傷付けるのではないか、と躊躇ったのだ。
「それに、丁度長い休みを取ろうと考えていた所だ。助かる」
「なら、そうして行きなさい」
リナスがイリュアスに近づくと、彼女が宿す竜紋を見た。今でも体が徐々に「ヒト」から「竜」へ変わっているのが感じ取れる。
「苦しい?」
「えっ?」
突如として飛んだ問いに、イリュアスが我に帰る。リナスはイリュアスの目を見て、もう一度同じ問いを繰り返す。
「苦しい?」
「何がだ」
短い問いかけの返し。リナスの表情は曇ったままで、イリュアスの表情は怪訝な色を浮かべている。
「誰にも言えない、思い」
「!」
その言葉に、イリュアスは歯を食いしばった。一瞬にして全てを見透かされているような恐怖が身を襲う。リナスの細い手が、僅かに震える彼女の頬に触れる。
「イリュアス、よく考えて。その思いは、どうにもならないでしょ?なら、吐かなくちゃ。吹っ切れないのも解かる。けれど、黙っていたら膨らむだけよ。だから」
「貴方に、何が、解かるというのだ」
その言葉と共に、ほんの少し強力な魔力が、放たれる。近くの壁に、音を立てて皹が走る。けれどリナスは何事もなかったかのようにイリュアスを抱き寄せた。
「や、やめっ!?」
「イリュアス…」
ぎゅっ、と抱きしめられ、途惑った。同性であれ、豊満なリナスの胸が当たるのはなんだかドキドキしてしまう。それ以上に、なんだろう、心に何かが触れていて、急に泣きたくなった。
「辛かったら、泣いていいの。涙を堪えないで」
「でも、私は傭兵だ。だから見せるわけにはいかない」
そう、自分にも。そうでなきゃ、壊れそうで怖い。だから彼女にも、ベヒモスにも、シルクレアにも、パトスにも、ユエフィにも…悪友のエルデルグにも、言える筈が無い。
「貴方は巫女なのだろう?もしくは竜神官…。だから、心眼を持っていてもしょうがない。けれど、口に出したくないんだ…」
イリュアスは必死の思いで言った。見透かされていることは恥ずかしい。だけど、それは自分が弱いからだ。強くならないと、と心に決める。けれど、リナスの表情は険しいまま。
「でも、このままじゃ壊れてしまう!」
「それぐらいで壊れるなら、私はそれまでの器。誰にも言わなくても、試練を乗り越えてみせる」
より強く抱きしめるリナスに、イリュアスが厳しく言い放つ。自分に釘を刺す。弱みを見せてはいけない。強くならなければ、竜に相応しくない。自分らしくない。
(青い、わね…。そして、可愛いわ…)
リナスは黙ってイリュアスを抱きしめたが、身を離す。何やら頷くと、彼女は立ち上がった。
「リナス?」
「私は先に上がります。あとで、会いましょう。ベヒモスが貴方を連れて行ってくれますから」
そう言うと、リナスはその場を離れた。イリュアスは一つ溜息をつきつつ、彼女を見送る。
「心配してくれるのはありがたい。けれど、言いたくないんだ」
イリュアスはそういい、そのまま湯船へと全てを沈めた。

 リナスは身支度を整えると、魔法で起こした風で髪を乾かす。そして、ぼんやりと青白い光を放つ石の回廊を進み、瑠璃の原石で出来た扉を開く。すると、質素な玉座が姿を現した。その両側にはエルフと人魚族らしき男性が控えていた。
「ベヒモスの方はどうなの?」
彼女の問いに、右にいたエルフが口を開く。彼は灰色の瞳を細め、溜息混じりに
「…今の所、はぐらかされているようですが、何か手がかりを掴むかもしれません」
「過激派の神がイリュアスを狙うとは。…何としても阻止しなくちゃね。竜は神の愛玩動物じゃない。共に民を守る存在なのに」
「イリュアスは、どうなんだよ。彼女は無事に竜になれるのかよ」
人魚族がぶっきらぼうな口調で彼女に問うが、リナスの表情は厳しい。先ほどの言葉を思い出し、彼女は溜息をついた。
「…失恋の痛手が、魔力を暴走させているの。だから、苦しいわね」
彼女の言葉に、彼は僅かに眉を顰めたが、少し考えて呟く。
「素直に泣ける相手がいれば、いいんだけどね。なぁ、レヴィアータン」
彼の言葉にリナス…海竜王レヴィアータンは頷いた。
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by jin-109-mineyuki | 2006-04-05 22:53 | 小説:竜の娘(仮) | Comments(0)