ある野良魔導士の書斎

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第二話:呼ぶ声、呼ばれる者(4)


 ベヒモスが店に戻ると、シルクレアが心配そうな顔で夫を出迎えた。何時になく表情が曇っている。
「ただいま、シルク。どうしたんだ?」
「ああ、いい所に…。実はちょっと話があるのよ」
彼女は小さく安堵の息を吐き、彼をスタッフルームに連れて行く。この話はあまり他人には聞かせたくは無い。手を引かれ、ちょっとドギマギしつつもベヒモスは彼女に従った。入ったのを確認すると鍵を閉め、シルクレアは辺りを見渡した。裏口と厨房への出入り口も閉ざし、防音結界を張る。漸く安心したのか、彼女は近くのソファに夫を誘った。
「話とは?」
ベヒモスは妻の傍に座りつつ問う。シルクレアは夫と眼を重ね、真面目な顔でこう言った。
「そろそろ、海を統べる竜王が動き出すわ」
「…レヴィアータン様が、動かれるのか…」
瞬間、ベヒモスの表情が強張った。この世界では。数多の竜が存在し、『強き心・信念を持った人間』との契約を深く望んでいる。その竜と契約者を統べ、人々を守護するのが竜王で、空竜王、地竜王、冥竜王、海竜王の四頭が存在する。その一頭が動き出した理由を、二人は知っていた。
「そんな、時期になったか」
ベヒモスはそういい、深くソファに座り込む。その表情はどこかしみじみとした表情だ。そんな夫に、シルクレアは頷いた。両肩に手を置き、抱きしめて眼を閉ざす。
「それがどういう事なのか、お前は解かっているのか…」
「ええ。儀式が終わるまで竜王は無防備になる。だから、そろそろ私達も動き出さなきゃいけない」
シルクレアの言葉に、ベヒモスは深く頷いた。確かに感じている柔らかな体温と感触を刻み込むように一度眼をぎゅっ、と閉ざして
「もしかしたら、イリュアスかもしれないな」
と、溜息混じりに呟いた。
「そうでしょうね。それなら探す手間も省けるし、ケアも直ぐに始められる」
シルクレアが夫の肩に顔を埋め、安心したように言った。が、ベヒモスは妻の滑らかな髪を撫でつつ不安げな顔になった。
「しかし、まだ決まったわけじゃない。イリュアスには悪いが、試す必要がある…」

 一人部屋で眠っていたイリュアスだったが、急に空腹になった。火照りから来る倦怠感が鎖となっていて動けないが、無性に甘いものが欲しくなった。それに、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえて眠れない。しかたなく、彼女は眼を覚ました。
(こまったな)
少し考えて、彼女はゆっくりとベッドから起き上がった。確か携帯用のお菓子がまだあった筈だ。記憶が確かならば干したクコの実があった筈。傭兵達は戦場に必ず少量の嗜好品を持っていく。神経の高ぶりが命取りになるから…と、幼い頃両親に教わった。イリュアスの両親もまた有名な傭兵で、自分が生まれるまでは彼方此方の戦場で華麗に戦っていたらしい。
(戦に行くとき、必ずお母さんが持たせてくれるんだよね)
イリュアスの表情が、ふわり、緩んだ。子を授かった夫婦は傭兵を止め、故郷で里の仲間とクコを育て始めた。できた実を干し、傭兵たちに格安で売っている。質のよいクコの実は傭兵たちに大人気で、中には遠くからわざわざ買いに来る者もいた。幼い頃は友人たちと共にクコの実を摘み、干して手伝った。つまみ食いをして怒られた事もある。イリュアスはクコの実が大好物だった。
…そんな事を考えつつ鞄を探ると程なくしてクコの実を見つけた。しかし残り少なく、買い足さねばならなかった。
(体調が元に戻ったら、市場へ出掛けよう)
一人決めるとイリュアスは細い指でクコの実を摘んだ。紅い実。おいしそうだ。一粒口に含むとクコ特有の、ちょっと癖のある甘みが広がった。
(美味しい…)
懐かしい味に目を細め、胸に優しい感触が満ちていくのを味わうその時。コンコン、とかるいノック音がした。
「…はい」
「イリュアス、いいかしら?」
シルクレアだ。イリュアスは慌ててクコの入った袋を鞄に押し込み、ベッドに潜り込んだ。
「鍵はかかっていません。どうぞ」
イリュアスが僅かに焦って言う。倦怠感があった筈なのに、自分でも驚くほど素早く動けてしまった。直ぐにシルクレアが入ってくる。と、彼女は乱暴に閉められた鞄と少し乱れた毛布を見、くすくす笑う。不思議そうな顔になる友人に、店主は優しい笑顔を見せた。テーブルにクコの実が一粒落ちており、それを見た途端イリュアスの頬がそれと同じように赤くなった。シルクレアがまた、ふふふと笑う。丁寧で、優しい笑い声。誰もが魅了される、綺麗な微笑。
「寝てなきゃだめじゃない、イリュ。クコの実なら鞄からとってあげるわよ?厨房からベヒモスの眼を盗んで失敬する事もね」
そう言われ、イリュアスは苦笑した。が、シルクレアには悪戯が見つかった子供のそれにしか見えない。彼女は年若い傭兵が恥ずかしがるのも無視して髪を撫で、その眼をみた。金色の、澄んだ瞳だ。
「イリュ、体のほうはどうなの?」
「…まだ火照りと倦怠感があります。それに…幻聴でしょう。誰かが私の名を呼んでいるんですよ」
イリュアスは少し困ったように言った。気付いたら声は聞こえなくなっていたが。シルクレアはまぁ、と言ってイリュアスと己の額を重ねた。熱がある。それは多分副作用だろう。彼女は眼を閉ざす。と、魔力の制御が全く出来ていない事に気付く。
「…シルクレアさん?」
戸惑っているイリュアスをよそにシルクレアは呼吸を整えて自分の魔力を重ねてみる。と、同時に自分の鼓動が徐々に早くなっていくのを覚える。背中に冷たい汗が走り、背骨にピピッ、と痛みが走った。
「魔力の暴走が激しいわ…」
シルクレアが誰とも無く呟く。彼女は額を離すとキョトン、としたイリュアスの眼を見、しっかりと両肩に手を置く。
「な、何だ?!」
「イリュアス、いい?貴方は部屋から出てはいけないわ。…医者に診てもらいなさい。それか医療系の魔導士に」
シルクレアはそういうと、彼女に部屋から一歩も出ないよう釘を刺し、素早く部屋を出て行った。
(悪く思わないで、イリュアス。これも、貴方の為なのよ)
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by jin-109-mineyuki | 2005-12-20 21:25 | 小説:竜の娘(仮) | Trackback | Comments(0)
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