ある野良魔導士の書斎

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終戦六十周年ということで(フーレイ、調べる)

 フーレイです。今回は終戦60年という事で2つのお話を…。一日遅れですが。

まず一つ。日本人外交官の話。杉原 千畝(すぎはら ちうね)さんは戦争時、ポーランドで暮らしていたユダヤ人のために独断でビザを発行した人です。日本より外国のほうで有名な方で『日本のシンドラー』とも呼ばれています。救われた人は6000人。その事は奥さんである杉原 幸子さんにより一冊の本にされています。救われた人の中には後に移った国の大臣になった方もいらっしゃいます。杉原さん自身はその後苦労しているみたいですが、後悔はなさそうです。杉原さんは一度日本に相談しているんですが国側はビザ発行に苦い顔をして止めていたそうです。しかしビザを発行。国を去るその日まで書き続けていた、といわれています。今年の秋、反町さん主演でドラマ化されるとの事。すこし気になるところです。

 二つ目。これは少し怖くて悲しい話。原子爆弾が広島と長崎に落とされ、多くの人が死に、現在もその被害で苦しんでいる人が居るのは誰もが知っていますよね(修学旅行で長崎、広島を他ずれた人も少なくないでしょう)。しかし、原子爆弾を落とすために模擬爆弾を落として実験していた、という話は案外知られていないようです。第一に僕もテレビのニュースで初めて知ったんですから。いや、僕が知らなかっただけかもしれない。この模擬爆弾はパンプキンといい、日本の彼方此方に落とされ、多くの方がなくなっております。形は長崎に落とされた原子爆弾に似ており(同じ?)、中身が普通の爆弾と同じというものらしいです。1945年の7月から8月にかけて49発落とされ、1600人以上の死者が出ています。北は福島から南は宇部まで。原爆を落とそうと考えていた都市は避けていたようで、また、京都も『古きよき都だから、後に反アメリカ運動の火種になるのでは…』との不安から避けられていたようです。

 長い、長い戦争でこんな話があったのですね。一つ目は一人の日本人が命を懸けて人の命を助けた話。見習え、最近の日本人(特に僕と同じ世代)。人のために自分を犠牲にできる人ってそういませんよね。だから凄いって素直に思えるし、できれば自分もそうありたいって考えるんです。なかなか出来ないでいますがね。二つ目は日本を降伏させるために用意した原子爆弾の投下実験の話。ネット検索によると日本が降伏するのに原爆は要らないんじゃないか、って話もアメリカ軍の人から出たらしいですが…落とされてますよ。原爆と模擬爆弾で死んだ人間は沢山居ます。その後も水爆実験とかやっているわけで、有名な話が第五福竜丸事件です。1954年・3月 1日にビキニ環礁で行われた水爆実験が原因で白い灰が降りました。それを浴びてしまったマグロ漁船の船員さん達が数時間後吐き気や眩暈、腹痛をおこし、のちに脱毛、下痢、紫斑(皮下出血)、関節痛を起こしました。後日病院で調べると白血球の数が常人の10分の1に減り、船員の二人が無くなった、というものです。恐らく実験された場所には黒い雨や白い雨が降っていたことでしょう。苦しむ人間、確実に増えていますよね。

 終戦60年。戦争をしていない国、日本。憲法第九条が危機に曝されている(?)今だから振り返ったほうがいいかもしれないのですね、こういった話を…。

 家族の話。僕の母方の祖父は戦争時、満州のある小学校で校長先生をしていました。だから戦場に行かなくて済んだそうです。そして、伯母は満州で暮らした事があります。ロシアの兵士が家に来て家宅捜索?みたいな事をしたけれど何もせずに帰った話を聞いた事があります。運が良かったのでしょうね。そして日本へ引き上た後、子供が栄養失調でなくなりました。生きていれば母の上には双子の姉妹のおばさんがいたのです。父方の祖父は名古屋から熊本にやってきて滑走路を作っていました。飛行機のための、滑走路です。そして終戦後、熊本に住み着いたとの事。調べると、次々出てくるものだなぁ。
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by jin-109-mineyuki | 2005-08-16 09:39 | 日常生活 | Trackback | Comments(6)
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Commented by satol at 2005-08-16 13:41 x
杉原さんはNHKの放送で知りました。「その時歴史が動いた」です。
主演に反町さんを選ぶところが、現代のセンスなのか…と少しジェネレーションギャップを感じています。ところで原子爆弾の開発者アインシュタインの活動を知っていますか? 彼は日本と交流があったそうです。爆弾が日本に落とされた事実を知ったときの第一声が「なんてことだ!」。彼はドイツを追われたユダヤ人で、ヒトラーを危険視していました。
ドイツに、核実験の開発が可能であろうと思われる科学者がいました。それが、アメリカに亡命したアインシュタインが、原爆開発を進める原因となったといわれています。
http://kanabun.page.ne.jp/にラッセル・アインシュタイン宣言があります。広島・長崎への原爆投下の後のものだとは文面から分かりますよね。この宣言を過去に追いやらないようにしたいものです。
(……日本人のアインシュタイン信仰はなんかずれてる感じしますけど;)
Commented by satol at 2005-08-16 13:52 x
補足です。彼の人道的活動と科学活動は分けて考えるべきです。
科学は更新されることで前進するものですから。
Commented by fyu-no@agata at 2005-08-16 20:24 x
まいど。今年で終戦60年ですね、そういえば、先日NHKスペシャルで「赤い背中」でTVに出ていた人に小学生の頃、被爆体験の話を聞いたことがあります。あの衰えた姿は忍びなかったです・・・。杉原千畝さんのことは、いろんなテレビ番組で放送されていましたよ。だけど、ドラマにするとは・・・複雑な気持ちです。個人的な意見ですが、所詮戦場なんてのは、新兵器の実験・お披露目場とも言えるんですよ。第一次大戦で戦車や戦闘機などが初めて投入されました。原爆なんて正確なデータを取るためにかなり役立ったと思いますよ? ・・・だけど、戦争でいつも犠牲には民間人と若者たち。決して許せるものじゃありません。それでも・・・世界には自らの意思で戦う者がいる、金のため復讐のため名誉のためなどに戦う戦争の犬が。矛盾してますがね。
Commented by fyu-no@ataga at 2005-08-16 20:37 x
追記で私事ですが、母方の祖父は陸軍で中国に、父方の祖父は海軍で・・・たしか潜水艦に乗っていたと思います。そこで二つのエピソードをちょっとだけ。 母方の祖父は数年前まで生きていたので、戦争の話を聞くことが出来ました。中国の何処まで行ったかは、覚えていませんが、ただ多くの戦友を亡くし、銃剣で戦ったことなどを話してくれました。その時の詩や文もあります。父方の祖父は潜水艦に乗っているとき、敵の魚雷を受けて沈没してしまったそうですが・・・その時、自分の身に付けていた懐中時計が仲間や艦と共に沈んでしまったとか。祖父は時計が代わりに沈んで、自分は助かったと話していたそうですが・・・ただ水球の選手だったため、どっかまで泳いで戻ったとか(汗)  どちらも偉大なる祖父たちであったことには、違いありません。
自分の命を犠牲に他人を助ける・・・今の若者には無理ですよ。侍の心を知らないから。
Commented by jin-109-mineyuki at 2005-08-17 10:43
 satolさん、フュノさん、書き込みありがとうございます。フーレイです。アインシュタインの話は前に聞いた事があるような。でも忘れていましたし、詳しく聞いたわけではないです。ショックは隠し切れないと思いますよ。色々、ご意見、聞いた話ありがとうございます。
Commented by satol at 2005-08-18 13:50 x
…私の祖父は父方の方が幼い頃に亡くなり、母方の方が言語障害の寝たきりになっています。戦争経験を聞きたくても聞けません。
母方の祖母が戦争時の軍人でない、一般人の体験を話してくれました。