ある野良魔導士の書斎

fureinet.exblog.jp
ブログトップ

また1つ。 (フーレイ、一礼)

どうも、こんにちは。
皆さまお馴染みのフーレイでございます。

単刀直入に言いますと、本日で27歳になりました。

こうして振り返ってみると、多くの人に出会いました。
仲の良い仲間、楽しい人、恩人、尊敬する人。
仲の悪い人、苦手な人、いじめる人、軽蔑する人。
色々な人と出会い、別れ、特に笑い合い、時に対立して。
その結果、今の僕がここにいます。
今でもありがたい、と感謝している人がいます。
今ではもう会いたくない人がいます。
謝りたい人がいます。
謝って欲しい人がいます。
数え切れない人に支えられて、いじられて、投げられて、受け止められて
こうして、僕は生きています。

明日がくるというのがわかっていることも、
明日がちゃんとくるかは本当は判らないことも
どっちも正しいと笑って思える今日この頃。
生きていると同時に生かされている事を日々実感し、
今日も僕は夫と息子とまったり生存しています。

父さん、母さん。夫のお父さん、お母さん。
先輩ママさんたちに、ご近所さん。
故郷の皆さんに、旅先でであった皆さん。
昔のクラスメイトに、先輩、後輩。
そしてネットで出会った全ての方、ブログを呼んでくれたみなさん、
ありがとうございます。

これから出会う全ての皆さんにこんにちは。


誕生日のたびに繰り返し思う。
こうして生まれてきたことに意味があるのか。
そしてこうも思う。
生きていくうちに意味を見出し、
死ぬその間際に「楽しかった」と呟ける人生
それこそが素敵な終焉ではないか、と。
生きていく意味はなくてもいい。
生まれてきた意味がつかめれば、それがいい。
生き生かされ、踊るこの人生よ、
誰かの微笑みのひとかけらになれ。


過去に書いた記事の繰り返しですが、
明日が来ることが奇跡、と思える事は確かに幸せだと思います。
けれど、明日が来ることがあたりまえ、と思う事も幸せです。
明日は生きている限り毎日やってきます。
だから「奇跡」でもあり「あたりまえ」でもあると思うのです。
明日が来ることが奇跡である、という事に気づくことも気付かない事も
同じぐらい幸せな事です。
こうして、こんな事を考えられるのは繰り返しになりますが、
沢山の人に支えられているからです。

だから、僕の書いた物語で、誰かがわくわくしたら、嬉しいことです。
僕なりの世界への恩返しができた気がします。

独りよがりといわれようが、このブログを読んで
貴方が「くすっ」と笑ったら、思わず笑顔になったならば、
とても嬉しいことです。
[PR]
by jin-109-mineyuki | 2011-10-16 10:00 | 張り紙 | Comments(0)